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2014年8月24日日曜日

朝日新聞掲載記事「海を見下ろす墓園、戻らぬ遺骨」

海を見下ろす墓園、戻らぬ遺骨 平田剛士
※朝日新聞デジタル(2014/8/22)にリンク

〈以下、記事転載〉
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●フリーランス記者 平田剛士

 木立の向こうに、オホーツク海の水平線が見える。
涼風に潮の香りを感じる。
セミの合唱に交じって、家族連れらしい一行の楽しげな声が聞こえてくる。

 夏の日曜日、紋別市郊外のなだらかな斜面に美しく公園化された「紋別墓園」にやって来た。

 日当たりのよい一隅に、白塗りの小さな建物がひとつ。看板に「元紋別(もともんべつ)墓地改葬納骨堂」とある。元紋別は、以前はモベツコタンと呼ばれていた。先住民族アイヌの古い大きな集落で、その共同墓地も長くアイヌプリ(アイヌの流儀)で運営されてきたが、1980年代の再開発に合わせて移転が決まり、丁寧な発掘整理のうえ、新たな納骨堂に移されたのだ。

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 紋別アイヌ協会の畠山敏会長(72)が扉を開くと、祭壇は新鮮な生花で彩られ、左右の棚に白い布にくるまれた箱が並んでいた。310人分という。

 毎年の慰霊祭で祭司を務める畠山さんにはしかし、心残りがある。同じ紋別から持ち出されたアイヌの古い骨がもう4体分、210キロ離れた札幌の北海道大学医学部に保管されていると分かっていながら、ずっと返還されないのだ。「本来はアイヌ自身の手で供養されるべき遺骨。それが地元にないことは耐えがたい」と畠山さんは静かに話す。

 北大は1930年代を中心に、「人種」研究などを目的に各地で千体以上のアイヌ人骨を収集した。市民グループ北大開示文書研究会がまとめた小冊子「アイヌの遺骨はアイヌのもとへ」(100円、入手は同会=0164・43・0128)によると、差別を許す当時の風潮に乗って、和人研究者たちが強引に墓地を暴いて大勢の骨をいっぺんに持ち去ったこともあったらしい。

 それらの大半は北大構内のアイヌ納骨堂に収蔵されている。そこは駐車場の片隅で、隣接ビルの空調排気が騒音とともに吹きつけるような環境。紋別の4体も中にある。政府は北大所蔵の遺骨を20年までに、さらに遠い白老町の新施設に移送する方針だが、もし自分が遺骨で、口がきけたら、「海を見下ろす故郷の墓園に帰してくれ」と迷わず訴えるだろう。

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 お参りの後、紋別市郊外のオムサロ遺跡公園(開園は5~10月の午前10時~午後4時、閉園は月曜と雨天日。問い合わせは紋別観光協会=0158・24・3900)に足を延ばした。縄文・続(ぞく)縄文・オホーツク・擦文(さつもん)、そして現在につながるアイヌ文化を担ったさまざまな人々が、1万年前から途切れずこの地に暮らしていたことを示す重層的な住居遺跡だ。

 ここからも海が見える。1万年来の住民たちも同じ景色に心動かされただろうか。「望郷」の意味を深く思う旅になった。
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